吉良遺産「三十六歌仙絵巻」

寛文3年、1663年以降、花岳寺に吉良上野介義央公が寄進した絵巻です。歌は大和絵様の歌仙画に前内大臣大炊御門経孝が揮毫したものであることが奥書の署名よりわかります。現在は紙継部分がはがれ、5メートルほどのものが14枚の断簡になっています。

吉良遺産「幡頭神社境内社熊野社本殿」

幡頭神社拝殿の背後に並んでいる3つの社のうち、左手にある熊野社本殿は桃山時代の建築様式を今に伝えています。今回は熊野社の桧皮葺屋根葺き替え工事を33年ぶりに行いましたのでその模様をお伝えするとともに、県指定文化財熊野社本殿の概要をお伝えします。

吉良遺産「旧糟谷邸(後編)」

江戸時代中期以後の典型的な住宅で、木造二階建主屋、長屋門、土蔵、屋敷神祠の計5棟約750平方メートルが約4,500平方メートルの敷地に立ち並んでいます。糟谷家の先祖は筑前(福岡県)の郡司であり、後に東条吉良家に仕え戦国時代にこの荻原の地に帰農したといわれています。

吉良遺産「旧糟谷邸(前編)」

江戸時代中期以後の典型的な住宅で、木造二階建主屋、長屋門、土蔵、屋敷神祠の計5棟約750平方メートルが約4,500平方メートルの敷地に立ち並んでいます。糟谷家の先祖は筑前(福岡県)の郡司であり、後に東条吉良家に仕え戦国時代にこの荻原の地に帰農したといわれています。

吉良遺産「吉良義安公、義定公の木造」

華蔵寺御影堂に並ぶ吉良氏3代のうち、中央に安置されているのが義安公(写真上)。左側に安置されているのが義定公(写真下)。義安公は痛みがはげしく、現在修復作業の準備に入っています。両像ともに江戸時代中期から後期の作品とみら…

吉良遺産「吉良義央公の木造」

義央公の木造は華蔵寺御影堂に先祖の義安、義定像と並んで祀られています。義央が自ら彩色を施したと伝えられています。衣冠束帯(いかんそくたい)姿で表現は写実的。その表情は温厚で気品があり知性的な印象を受けます。

吉良遺産「幡頭神社本殿」

幡頭神社本殿は天正8(1580)年の建築で桃山時代の様式を伝えています。規模は小さいものの手法が堅実で、蟇股(かえるまた)の形も内部の彫刻も素朴です。屋根は桧皮葺で大きく反りかえった庇が美しい姿をしています。幡頭神社は大…

吉良遺産「西福寺鐘楼」

もともと徳川3代将軍徳川家光が再建した岡崎伊賀八幡宮の鐘楼(しょうろう)でしたが明治の神仏分離令によって鐘楼は撤去され、明治4年(1871)に西福寺へ移築されました。創建時は桧皮葺でしたが、移築の際瓦葺に改められました。…

吉良遺産「行場」

文化5年に(1808)駮馬村出身の江戸時代第一といわれた尼僧慈本尼の行場。真珠院の境内東裏に位置し、内部に千日箱を納めてありました(千日箱は現在非公開です)。木造瓦葺、間口2.14m、奥行2.94m、高さ2m。2010年…

吉良遺産「千日箱」

江戸後期の尼僧慈本尼がこの箱の中に千日間こもる修行を行ったといわれている。慈本尼は東加茂郡霧山村羅漢山(足助町)で千日行を行った後、真珠院住職となった。木製、幅76cm、奥行90cm、高さ90cm。現在は非公開。 本企画…

吉良遺産「曬稿松(さこうまつ)」

曬稿松(さこうまつ)は、通称、中野大松と呼ばれた銘松で昭和8年に国の天然記念物として指定を受けたものの、室戸台風などの影響により昭和37年に指定を解除され、現在のような姿となりました。後白河法皇お手植えの松という話もありますが真相は定かではありません。

吉良遺産「岩谷山1号墳」

岩谷山1号墳は吉良町岡山にある岩谷山にあったものを現在は民俗資料館に移築しています。古墳は7世紀頃のものとされています。平面形が舟形をした複室型の玄室をもった横穴石室構造となっています。吉良町には後期古墳と確認されるのは…

吉良遺産「鉄眼版一切経」

元禄13年(1700)年に吉良義央の寄進により建築された経蔵に収められている経典で、ほぼ全巻が完存する。鉄眼版一切経は黄檗宗万福寺(おおばくしゅうまんぷくじ)の僧、鉄眼が天和2年(1682)に木版刷で完成させたもので、華…

吉良遺産「経蔵(華蔵寺)」

吉良義央が、有名な討ち入り前の元禄13年(1700)に建立した経蔵で、秩(ちつ)と呼ばれる内部の引き出し120箱に鉄眼一切経を納めています。平成14年(2002)に修理が行われ、瓦葺から創建時の柿葺に復元されました。 I…