ドキュメンタリーの力



ドキュメンタリーというカテゴリーに関してはこだわりがある。
あの人もこの人もみんなこだわりをもって作っている。
私自身はドキュメンタリーそのものにこだわり始めたのはテレビに入ってからかもしれない。大学時代に実験映画に没頭し16mmフィルムと毎日戯れていた時、同時にドキュメンタリーの歴史を垣間見て如何にこの分野が映像文化や産業全体に深く深く入り込んでいるのかは知っていたが、当時はまだドキュメンタリーを自分でやろうとは思っていなかった。
如何せん自分は「映画屋」になるとしか思っていなかった。
しかし卒業後、映画への道は開けず地方のテレビ局にお世話になり、フィルムからビデオへの思考の切り替えを迫られる。とともにニュースへの配属。ビデオを馬鹿にしていた自分がそれを飯の種にし始めたことで自分自身今度は、ドキュメンタリーの可能性をビデオに求め始めた。フィルムじゃなくたってドキュメンタリーなら作品として勝負できる!そう思うことにした。
だから基本的に私はテレビを毛嫌いしていた。
そんな私の態度を見透かしていたのか、当時ニュースのアンカーマンだったアナウンサーが番組の本番中にフロアディレクターをしていた私にこう質問したのだ。
「君さぁ、ニュースって真実だと思う?」
CMは1分半しかない。その間に気の利いた答えを私は用意できなかった。
そして私が言い澱んでいると、
「駄目だなぁ、わかんないの?真実じゃない。ある事実の断片に過ぎないんだよ」
ときた。
完全敗北だ。
それ以降、私はドキュメンタリーと関わるたびにそのことを思い出す。「ドキュメンタリーは事実の断片にすぎない」
・・・
今回「ドキュメンタリーの力」を読んでいたらそんなことをふと思い出した。おいそれと「真実」なんて言葉を口にするなよ、と今まで肝に銘じながらドキュメンタリーに関わってきたつもりの自分を思い出した。
しかし。
それにしても、だ。
どうしてこうドキュメンタリーというと暗くて不幸な話ばかりなのか?この本でもまさにそのことが話題にされようやくそうした暗さが消えてきたと言っているにも関わらず、紹介されている題材は「被爆」「在日」「戦争被害」だ。
もし私にも「人に何かを伝える使命」があるとするならば、それは「見るからに楽しく関わるだに嬉しくなり生きる喜びにあふれる最高にハッピーで人生の指針となるような何回も観たくなる作品」でありたい。

コメント

  1. sin より:

    ドラマでも、映画でも。
    本当にシリアスな部分は、描けない。
    下手に描いたら、社会問題になるだけ出し、第一、興行的になりたたない。
    まあ、言うまでもないんだけど。
    手付かずの、いや、演出の限界を超えているテーマ。
    その不可侵なエリアが、
    ドキュメンタリーに残された、
    最後の聖域。
    だからじゃないかな?
    「暗い」のは。
    あますところなくハッピーな世界は、
    それを得意なメディアが、作るから。
    どうだろう?
    考え方が、商業的すぎるだろうか??

  2. ゆき より:

    俺は、「声」そして「音」で、
    人に伝えて行きたい。

  3. iwasaki より:

    なにげない日常生活の断片
    その事実の断片を切り取ったドキュメンタリーが
    無数に存在しうると思います。
    既存のイメージに収まらない映像のジャンルが生まれつつある時期なのだと思っています。

  4. カントク より:

    >sinさま
    暗いのは注目を集める作家がことごとく宗教家のようだからだと思う。不可侵なエリアにだって楽しいことはあるはずです。
    >ゆきさま
    そのへんはもちろんあなたにゆだねます。
    >iwasakiさま
    自分もそんな時代の先駆者になれたらうれしいですね。マイケル・ムーアは嫌ですけど(笑)。