「映像コンテンツ」に対するジレンマ


映像コンテンツに対する評価はいつになっても
「絶対基準」ができません。
そのおかげで色々な弊害があります。
たとえば、自分が自信ももって作った作品に対して
クライアントが平気な顔して「意味がわからない」と言い放つわけです。

でも、そのときの自分の心理としては、「ドキッ」とするわけです。
ドキリとすることで既に「自信」は消えるているのです。
その瞬間から「反省」の準備段階に入ります。
でも後になって他の人に「面白かったよ」と言われると、
一瞬で「自信家」となり、作品を否定した人間すら否定しようとします。

人間(自分)はかくも嫌らしい。

すべては後々になってから気づきます。
その意識の揺らぎに。
そのジレンマに。

そのときは自分もドキドキしています。
なにせ、確信がないのです。自分にも。
そもそもビデオコンテンツには「絶対評価」がないのです。
すべて「主観評価」みたいなものだから、誰に、どのグループに見せるかで、
全く評価が分かれてしまう。

それが怖いのです。

これまで
テレビ時代に自信をもって作った作品がこともなげに否定されてきました。
もはや、トラウマです。
確かに自分が「天狗人間」にならないように叱られる事も必要だったかもしれません。
でも否定され続けると自律神経が壊れます。

いいと思っても「独りよがり」かもしれないと不安になるのです。
だから常に相手の出方を見て自分も対応するようになります。
相手が首を傾げれば「どこがまずかったですかね?」と
やんわり聞いてみる。
「よかったね。面白い。」と口を開けば、「ありがとうございます!」
と調子に乗ってしゃべりはじめる。
同じ作品でも全て相手の調子に合わせてきたのです。

だから悩みます。

とんがったことをすると杭を打つ人間がいますが、
挑戦しなければこの業界で作品を作る意味がない。
やりすぎると「マスターベーション」だと一刀両断されるから、
自分の中で線を引いて、「やりすぎず且つ挑戦を忘れない」スタンスを守る。
しかしそれでも人の主観で判断されるから、
人によって評価にものすごい開きがでます。
ほめられて、けなされて、叱られて、賞賛されて、、、その繰り返し。
でもそこには全く基準がない!

だから悩みます。

まぁ、一生悩むんでしょうけど。。。